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北陸中日新聞(2019年5月24日、25日)




北陸中日新聞(2019年5月24日付1面・9面、5月25日1面・7面)にて、
弊社の創業142年の歩みが掲載されました。
後編

【 5月25日 1面 】

■掲載内容  

豪雨復旧 地域の支え

茶色い泥水が玄関の扉をなぎ倒した。2008年7月28日未明から朝にかけ、富山県南砺市を襲った集中豪雨。 午前6時台には城端地域で1時間に120ミリ以上の猛烈な雨が降る。築90年を超す松井機業の木造工場も直撃された。

午前7時すぎ、5代目の松井文一(71)が向上に異変がないか見回りに来た。ひざの高さだった濁流は、瞬く間に腰の高さになる。水をかき分け、やっとの思いで奥まで歩いた。必死に柱につかまり、腕が引きちぎられそうになる。駆けつけた従業員に投げてもらった。何十年も大切に使ってきた織機や原材料の生糸、織り上げた出荷前の商品…。全てが水浸しになり、流れ込んだごみや泥にまみれた。水があふれた川に近かった別棟の木造工場も崩れ落ちた。「いったい何日で創業できるのか」。途方に暮れる文一。機械の電気系統も全てだめになり、数千万円の損害を背負う。会社の存続をかけるような出費だった。そんな中、自らも被害に遭った近所の人たちが泥かきをし、カンパや食料を差し入れてくれた。 「地域の絹織物が地域で守られているという感謝に、いち早く機械を動かさんなんと、と思った」。文一は神妙に語る。
(7面に続く)

【 5月25日 7面 】

■掲載内容  

命の輝き 未来へ紡ぐ

松井機業が豪雨に襲われた翌年の2009年秋。5代目・松井文一(71)の三女紀子(34)に転機が訪れる。大学を出て、東京の証券会社で営業職として奮闘していた24歳のころ。文一に誘われ、都内での商談について行った。湿度を整え、有害な紫外線も防ぐー。その席で絹が持つ優れた機能をきくうち、胸が高鳴った。家業の行く末や跡継ぎの不在を案じていた文一に、紀子が告げる。「やってみていいけ?」。三姉妹のうち、自分の名にだけ糸編が含まれることにも運命を感じた。

 10年8月にUターンすると、持ち前の明るさとフットワークの軽さで人脈づくりに駆け回らる。新たな販路を求め、都会の大展示会に商品を出した。すると、価格の高さゆえ受け入れてもらえないこともあった。  「このやり方では本当の価値は伝わらないのでは」。その思いが、しけ絹の魅力を十分に知り、素材そのものとじっくり向き合うきっかけとなる。やがて気づいた。「城端に根を貼り、良いものを作っていれば辺ぴな場所でも来てくれる」  こうして地域のつながりに重き置く。地元の作家や企業と手を携え、最終製品の新ブランド「JOHANAS」も立ち上げた。  「会社をたたもうと思わなかったの」。豪雨の後、工場を半分に減らした父に紀子が尋ねた。文一は答えた。「絶やしちゃいかん。伝統を守らんと、残さんと、って必死で。そこまで思いが至らんかったな」

 紀子はかねて、地域の子どもに蚕や絹を教えたいという夢があった。工場の一角で蚕を飼い、育てた桑を食べさせ、できた繭で絹を織るー。一連の流れを実践したかった。「桑の木を育てるため、土に興味があるんです」。昨年3月、知人に打ち明けた。「似たようなことを言うやつがおったわ」と、土壌に詳しいという男性を紹介された。  埼玉県出身で、岐阜県高山市のトマト農家で修行していた渉(29)。紀子を訪ねて初めて松井機業に来た時、土に良いとされる牛ふんの堆肥を手土産に持ってきた。  「飾らないところがいい」。すぐにひかれ合い、2人は昨年12月に結婚する。渉は豪雨で崩れた工場の跡地を耕し、蚕のための桑の木を育て始めた。「目に見えないご縁がつながったんやね」と桑畑の前で微笑み合う。育てた桑の実など自然の染料を使い、織り上げた絹を染めるといった共同作業の構想も膨らむ。

 4月20日には2人の間に長女晴が生まれた。わずか1ヶ月半という蚕の一生の間に作られた繭で紡がれる絹。その魅力を感じ取ってほしいと、絹のおくるみや沐浴の布で晴を包む。  「お蚕さんから命をいただいた絹は、命の輝きなんです」。出産を経て、意欲を新たにした紀子は続ける。「これからも絹を通じて、命をつなげるありがたさを広めていきたい」 (嶋村光希子)





所在地
〒939-1815 富山県南砺市城端3393
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電話
0763-62-1230 (平日9:00~17:00)
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